「毒親」寛解までの経緯を語ってみる

最近、何かと話題ですよね、「毒親」

私のイベントでも、この話は恋愛講座に続いてかなりの人気でした。

しかし、ごく一般的な家庭で育った方には、一体何のことか分からないですし、「親を大切にしないなんて、一体なんて親不孝者だ」と思われがちかもしれません。

私の家庭も幼い頃から片親で、両親共に毒親でした。

今回、その毒親の経緯から解決(寛解?)に至った経緯を記事にしたいと思い、書き綴ってみました。

まあ別に、親にそんな事…って人に理解を求めるつもりはないので、こんな家庭もあるんだなーって位で、教養にでもしてもらえたら幸いです。

幼少期

私がやんちゃだったこともあり、かなり過干渉でした。使われていない部屋自体はあったのですが、部屋は与えられませんでしたし、

鞄の中身や荷物、ノートの内容なども細かくチェックされていました。

発達障害が疑われた頃にも、学校の指示もあり検査には行ったものの、適切な対処がされることはありませんでした。

対処は早ければ早いほど解決に近付きますし、遅ければ遅いほど引きずります。

また、しばしば暴力を振るわれたり、物を投げられる事もありました。

発端は自分のトラブルですが、包丁で足を刺された事もありました。

場所を確認したいのか、当時からGPS付きの携帯は与えられていたものの、扱い方が分からないのか中身は見られなかった為、ここだけは救いどころでした。

小学校~中学校

当時皆が持っている流行りの物(100均の物からゲーム機まで)もほとんど与えられず、周囲からも疎外感を感じていました。

流行について行けず、いつの間にか周りからはみ出す存在になっていて、それがいじめの対象になる事は、言うまでもありません。

ただ、なぜか父からパソコンは与えられており、母は全くパソコンを使えない人間だったので、これが転機となったのかもしれません。

(当時、自宅にインターネットは無かったのですが、父が無線LANカード付きで渡していた為、試行錯誤をして近所のWi-Fiに(爆)

当然ですが携帯は外部にはつながらない契約の物でした。

お年玉も抜かれる事があり、最低限の金銭しかなかったため、自力でお金を得る事も困難な状況でした。

高校

~中学校より改善はしたものの、細かく予定を把握したがったり、その予定に干渉したりする事もあったので、人付き合いも疎遠になってしまう事が多々ありました。

勝手に部屋を物色する事も収まらず、女の子からの手紙でも見つかろうなら、この女は誰だ?何の関係だ?と突っ込まれる事も多々ありました。

当然、鍵付きの引き出しは鍵が掛けれませんでした。

また、家事の殆どをこなすことも多く、時間的余裕もありませんでした。

しかし、人生の転機は次項の「浪人期」にありました。

浪人期

転機はここにありました。

予備校に入学して多忙になり、連日朝7時~夜10時まで居る事も多くなり、家事や買い出しも回らなくなりました。

この時、親に言われた一言で、ある決意をしたんですね。

「自分の意志で決めた事なんだから、今までやってる事は全てこなして当然」

お前、一度やってみろ。とでも言いたくなりましたね。

親もほとんど学校行ってない上に卒業してないので、経験したことが無いんですよね。親が自分が資格の勉強してる時には、30分も持たずに寝てるくせにね。

まぁまぁ、こんな事もあったりで浪人期は大失敗してしまったのですが。

遅れた反抗期

自然な反抗期というよりは、意図的な反抗期ですが。笑

親にはもう話し合っても歩み寄る気もない、手を出した所で一時的な解決に過ぎず、そもそも暴力で解決するのってバカがする事だよね。って考えもあったので。

先ほどの言われた一言で、1回家出をしたんですね。といっても親の実家にですが。

昔っからそんな企画はしていたり、物を持っていると物色される事もありましたので、物自体少なくシンプルで、ミニマリストのような生活でしたので

鞄3つ、バイク1台で全て持ち出せる状態でした。持ち出し、連絡もすべて遮断し、数日実家に居ました。

当然予備校にも通っていましたが、かなりの距離でした。

まぁでも精神的影響って意外と強力で、予備校が距離ある事もあり、スケジュールはさらにハードになったのですが、

家に居た頃にはあった体調不良、諸症状が一気に改善したんですね。授業中の眠くなる現象も少なくなり、精神的にも安定していたと思います。

まぁ数日経って居場所はバレたので、引き戻された訳ですが、その後も色々と行動に移しました。

解決に至った方法

解決に至った方法。そう、「遅れた反抗期」です。

結局何度話し合っても、家を出ても、分かろうという気はなかったので、もう長期戦に入るしかないと思った私は、

半年間、徹底的に無視しました。

しぶとく全て無視し、食事も放置し、自費で生活していました。

しかし、しばらくは「何で無視してるんだ?」という態度だったので、容赦なく無視していました。

しばらくして何度か「もう、仲直りしよう」と言われた事はあったのですが、

でも、お前も…と、言い訳を試みようとしていたので、容赦なく無視しました。

(確かに自分も波乱万丈で色々悪いところもあるのも事実ですがね。)

半年間って答え書いてるので半年後ですが、改まって話がしたいという事で応じ、

やっと親自身が「毒親」であったことを自覚し、さまざまな善悪の話、条件交渉、今後の件について話し合う事に至れました。

しかし、それでは終わらないのが毒親でした。

現在

親自身が毒親である事を自覚し、ある程度の交渉をし、寛解に近づける事自体は可能ですが、残念ながら半世紀も生きた人の人格を変える事は、

例え心理学を専攻していようと、若い自分にはそう簡単にはできません。

現在も勝手に部屋を物色する癖は治らないので、自分も徹底的手を打つ方向にシフトしました。

・学校のノート、レシートを含めた紙は全てPCに取り込み、セキュリティ設定を厳重に設定、紙は即座にシュレッダーし処分

※提出が必要な重要な物や残しておきたい記念の物などは、完全に施錠出来る引戸に保管し、鍵を常備。

・自室内に常時外部からも見れる防犯カメラを設置

もちろん隠しカメラではなく、ごく普通のカメラを見えるように設置しています。死角はPCと古いスマホで監視。

こんな感じで、経済的な問題もあるので結局家に戻って生活する事になりましたが、

2~3年以内に一人暮らしの方向で現在も企画しています。

(本業が儲かり、金さえあれば、荷物は少ないからいつでも動く…)

学生の内は無いでしょうけど、彼女と上手く行って同棲の可能性もあればその方向も。

現状、彼女より友達(男)との可能性も、十二分ありますが

(案外友達も同じ境遇だったりするんですよね)

ただやはり、自宅特有の体調不良は治らずなので、昼間は基本、PC持ってカフェかどこかの店でノマド生活です。

今日もWi-Fi持ってノマドしながら記事を書いていますw

うーん、寛解したものの解決にはまだ遠いかもしれない。

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