反響の大きかった、筆者の高校時代について書いてみる【被害者の会 代表】

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今回は、Twitterでつぶやいてみたところ反響の大きかった、「高校時代」のお話について、触れていきます。

キッカケはなんとなーく、思い出した高校時代のことをツイートしたことでした。

すると、友達が引用RTで取り上げ、リツイートは100以上、様々なリプライなども飛び交いました。

では、この高校時代とは一体どんなものだったのか、気になる方も多いと思います。

そして、今でも私はみなさんが「同じ被害」を受けることがないように、未然に防いでいきたいと考えていますので、

今回、詳しく経緯を発信することにしました。

時は2014年3月〜12月。今から5年前のお話になります。

高校選びの誤り

私が高校を選んだのは、中学2年の時でした。

当初から電子機器、コンピュータ系が得意であったため、工業系の高校を選択しようとしたのがキッカケでした。

そこで当時、工業高校といえば偏差値40〜45レベルのところが多い中、

当時の偏差値51と一際レベルの高かった、「都島工業高等学校」を選択したことから始まりました。

レベルが高いと言ったことしか見ておらず、オープンキャンパスや資料請求などもせずに選び、

当時偏差値30前後だった自分は、勝手に脳内で学校のイメージを作り、塾で猛勉強に励んでいたのでした。

そう、メリットが少ないのは、当時の私の資料でも分かっていたことなのですが…

迎えた受験当日。塾の先生からも確率五分五分と言われ、緊張でしかありませんでした。

一人、可愛い子が紛れ込んでて、もしかしてこの子受かったりしないかなぁ…なんて、自分が受かるかも分からないのに考えていました。

高校合格

私は不登校の時期もあり、内申点はかなり低い状態でしたが、当時の模試で偏差値で55近くを出し、無事合格しました。

まあ、当然ですが、共学ながら男だらけでむさ苦しいなぁ…という印象でした。

同じ中学からも何人か受けており、中学の人と一緒は嫌だな…と思っていたのですが、

あろうことか全員落ちていたのです。

しかし、ここから悲劇は始まるのであった。

高校生活が始まる前

合格すると、最近らしいかもしれませんが「ツイッターの高校アカウント」などを開設し、

合格した者同士でやり取りし、LINEグループなどが結成されます。

そして、会って遊んだりする中で、退学の一因となったグループとも仲良くなっていました。

高校生活は、晴れやかな形で始まる

高校に入学した私は、張り切り、学級委員長を務めたりしていました。

そしてなんと、入試の時に見かけた女の子も居て、同じクラスだったのです。

さらにあろうことか、その子は副委員長を務めることになり、共同で何かしらすることが多くなり、

やがてかなり関係を持つようになる。

女子は紅一点のような人数しか居ない。そんな中のこんなことであり、

他のクラスからも注目を浴び、やがて多くの友達も出来るようになったのである。

しかしながら、華の高校生活は、そんなに長くは続かなかった。

被っていた仮面が剥がれる

しかしながら、実際の高校生活は、スタートを越えた後からが過酷であった。

毎週のように実習が行われ、実習のたびにレポート課題が課され、もちろんパソコン不可の手書き。多いと20枚前後になることも…

さらには、今回の多くの反響のあった「体育」も2つあり、

一つは、1年の最初に課される、今回話題となった「ラジオ体操第二を完璧マスター」

さらにもう一つは武道(柔道、剣道、ダンスから一つ選択)でした。

当時、発達性協調運動障害という言葉は知らずでしたが、人十倍ぐらい身体を動かすのが苦手で、

よくあちこちで躓いたり、歩き方が変と言われるレベルですので、

当然、ラジオ体操は全く上手くいくどころか、「お前やる気あるのか」などと、皆の前で怒号をあげ、責め立てられます。

もちろん、ダンスも同様。上手くいかず、皆の前で晒し者になり、気がつけば下痢を起こして欠席、保健室に行くことも多くなった。

そんな事もあり、もちろんクラスの人達からは「サボり」「鈍臭い」さらには「病気」や「障害」とまで言われるようになりました。

それでも授業を欠席すると、多くの課題が待っていますので、我慢して出席していましたが、

ある時、身体に異変が起こりました。

授業中、常におならやお腹の音が止まらなくなったり、突然眠ってしまうようになったのです。

そう、大学生である今でも悩まされている、

過敏性腸症候群(IBS)と、人生で初めてのうつ病の始まりです。

当然、この症状が周りの挑発を加速したのですが、課題や授業に追われていた私は、なかなか病院に行けず。

この頃から何度か教室に入れない日が多くなって来ました。 

いじめが始まる

このような状態から、クラスのいわゆる番長みたいな人や、その周囲のグループから、

教室に入るたびに悪口を言われたり、授業中にも嫌がらせを受ける事が多くなりました。

さらには、副委員長の子との件では、「彼氏が居ると知っていてアタックしている」などと事実捏造。(本人もいじめ側に加担していたという事もありますが。)

この事も悪口を加速させる糧となり、他クラスの人まで加担するような状態でした。

そして校門前に他校のバイク集団が待機していて、急に殴られるといったことまでになりました。

それでも通学しないわけにはいかず、親も学校も特に対応してくれる事なく、

自分でもどうしようもないまま通学していました。

夏休みに入る

なんとか夏休みに入りました。

しかしながら、ひと時も休む時はありませんでした。

夏休みに入ると、資格のための講座や、ラジオ体操の補講と、みっちり詰まっていました…

ラジオ体操の補講は、プールサイドでの実施だったのですが、

当然のように水分補給の時間すら与えられず、身体のあまり強くない私は、熱中症気味で座り込んでしまいましたが、

それでも「サボり」「立て」「出来るまでやれ」と言われ続けたものの身体はもう動かず、

「やる気がないなら帰れ」と言われた時には、帰ってしまいました。

心療内科へ

やがて、夏休みが明けて、少しは興味失せて、皆も静かになってるだろうか。

と思ったのが誤りでした。

数日経つと、電車に乗っても逆方向に行くようになってしまい、今にも奇声を挙げそうな精神状態でした。

家に帰っても、ずっと寝込んでしまい、何も出来ない日が続きました。

やがて、見兼ねた親が今まで拒絶していた心療内科への通院を許し、通院することにはなるが、

この通院と医療への親の干渉が、高校生活にトドメを刺すことになった。

家庭環境の悪さが高校生活にトドメを刺す

心療内科へ通い、過去の診断データや、様々な心理テストを受けたところ、

正式にADHDという診断が降り、投薬が始まりましたが、

親が勝手に「投薬は必要ない」といい、薬を没収。

さらには、学校に診断書を出すことになり、診断書を出すことで、

少しは何かしら、代替え措置や他のこと(レポートや課題など)で、対応できないだろうか。と考えていたのですが、

その診断書の内容に問題があり、高校側が事を大きく受け止めなかったためか、「サボり」と言われる状態はさらに悪化。

病院から説明があり、ストラテラや抗うつ剤による投薬治療はスタートしたものの、

最初に現れる体調変化が異常だと勝手に判断し、数日で勝手に没収。

その影響により、さらに体調悪化が進んでしまい、やがて1日中常に体調不良の状態となってしまったのです。

そして、後々に判明したこととして、

親が病院に「発達障害とは書くな」と言っていて、やむなく「適応障害」と書かれていたという事実が後になり発覚し、

この診断書だと、特に何も配慮はないだろうな…という事が後になって分かったのです。

心療内科の先生の勧めもあって、学校の後にデイケアにも通っていた頃があったのですが、

ほとんど活動できず、食べてばっかりであったことや、愚痴ばかり吐いてしまっていたことから村八分。

ここでも居場所がなくなってしまいました。

当時は金輝のような場所もなく、学生の場合は中々悩みを話したり解決に持っていけそうな機関がなかったのと、

うつ状態なこともあり、どうすることもできず。

こうしたトドメが重なった結果、通常の授業の出席日数まで足らなくなり、

さらには体育でも特に代替え措置が取られることはなく、代わりに水泳で80点取るなどの好成績を残しましたが配慮されることなく、

嫌がらせのように総合点39点(40点未満で欠点)という成績を付けられました。

そんな状況となって留年または退学を余儀無くされる状態となり、

2014年12月、茨木市にある通信制高校、向陽台高等学校に転学することとなったのでした。

さいごに

5年前の話を思い出しながらの記事になります。どこかに書き留めていたわけではありません。

いくつか事実と異なる場合や、現在では状況が変わっているかもしれません。

この高校生活を境に、私の人生は大きく変わっています。

元あった社交性は大きく無くなり、新しいことを始めるのにも抵抗が大きくなり、身体の症状などは現在でも闘病しています。

この際、何度か自殺未遂などもあり、もちろん自業自得ですが後遺症にも悩まされています。

これから高校選びという方、どうか、

資料請求、オープンキャンパス、オープンキャンパス以外にも抜き打ちで見に行ったり、

職員、先生がどんな人か話をしてみたり、見に行ってみたり、

さらには、今ならインターネットやSNSなどで、OBOG、現役の先輩などを探すということも容易ですので、

実態を聞いてみてください。学校の印象を上げるために嘘をいう人もいますので、最低3人以上です。

後悔してからでは遅いです。

今回、私が通っていた高校では、古い伝統や昔のやり方が今になってもそのままで、当時は少々、先生から殴られることも平気でありました。

当時通っていた心療内科の先生も「軍隊のようだ」と言っていました。

私自身の考えとしては、高校やそのメンバーだけを責めるつもりはありません。家庭環境や親を含め、

どちらにも非があったと考えています。